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名古屋高等裁判所 昭和32年(く)23号 決定

抗告人 検察官 子原一夫

被告人 片山博 外八名

弁護人 天野末治

主文

原決定を取消す。

被告人片山博外八名に対する騒擾等被告事件に付弁護人天野末治の為した検察官保管に係る被害上申書被害者供述調書診断書報告書被害者名簿家屋被害者名簿被疑者名簿等の提出命令の請求は之を却下する。

理由

本件抗告の要旨は昭和三十二年五月十七日名古屋地方裁判所刑事第一部が被告人片山博外八名に対する騒擾等被告事件の第百五十回公判において弁護人天野末治の為した検察官保管に係る被害上申書、被害者供述調書、診断書、被害者名簿、被疑者名簿等の提出命令の請求を認容した提出命令の取消を求めその理由として原決定は検察官が保管している右書類等は検察官の主尋問の信憑性を覆す為必要と考えられるから刑事訴訟法第九十九条に則り提出すべし(第百五十回公判調書)。というに在るが右決定は次の理由により明かに違法で取消さるべきものである。

第一、検察官が提出を命ぜられた右書類はいづれも刑事訴訟法第九十九条による提出命令の対象とならざるものである。

(一)、検察官が提出を命ぜられた書類は前記の如く被害上申書、被害者供述調書、診断書、報告書はいづれも被害者及び医師の供述を内容とするものであり被害者名簿、家屋被害者名簿は七、七大須事件被害状況一覧表(負傷の部、損壊被害の部との表題のもとに被害者の住所、氏名、被害程度等を記載した一覧表)でありこれは被害上申書、診断書等を要約したものに過ぎないものであり被疑者名簿は本件騒擾事件被疑者の住所氏名等を記載した一覧表でありいづれも本件大須事件の捜査の段階において作成された書面で書面そのものの存在又は状況が証拠となるものではなくその記載内容が証拠となるものである。(二)、刑事訴訟法第九十九条の提出命令の対象は差押えるべき物である。差押えるべき物とは証拠物又は没収すべき物に外ならず本件提出命令の対象が刑事訴訟法第九十九条の没収すべき物に該当しないことは明白である。しからば同条の証拠物の中に証拠書類が包含されるか否かに付検討するに刑事訴訟法上証拠物とは証拠書類に対応する概念であり主として刑事訴訟法第三百五条乃至第三百七条所定の証拠調の方式に関係してその区別が論ぜられているところであるが証拠物たる書面と証拠書類たる書面との区別にその焦点があるものと理解される。此の点に関して種々な学説があるが判例として大体二種のものがある。その一つは当該事件について犯罪捜査から公判に至る迄の段階において特に作成された供述書等の書面が証拠書類でありそれ以外の書面で証拠となり得るものが証拠物たる書面であるとするもので旧刑事訴訟時代の判例を踏襲するものである(名古屋高裁昭和二四、一二、二六、昭和二四、一二、二八、札幌高裁昭和二四、九、一六)。今一つの証拠書類とは書面の意義だけが証拠となるものであり証拠物たる書面とは書面そのものの存在又は状態が証拠となるもので当該訴訟において作成されたか否かは問題ではないとするものである(東京高裁昭和二四、一〇、二五、昭和二五、六、一五、仙台高裁昭和二五、七、一二、最高裁昭和二七、五、六)。しかして同一法律内において使用される概念は原則として統一的に解釈されるべきであるから刑事訴訟法第九十九条の証拠物も右に述べたと同様に解釈されるべきであろう。そうだとすれば本件提出命令の対象たる書面はいづれも本件訴訟の捜査段階において作成されたものであるし将来はとも角現在の訴訟段階においては存在とか状態とかを証拠とするものではなくその記載内容が証拠となる場合であるから右いづれの判例の立場よりするも証拠書類であつて証拠物ではない。従つて右提出命令は明らかに法律の解釈適用を誤り提出命令の対象となつていない証拠書類に対する提出命令で違法なものといわなければならない。(三)、元来右に述べたような証拠物の概念は証拠調の方式にのみ適用さるべきもので刑事訴訟法第九十九条の場合は之と別異に解釈しなければならないとする立場がある。このような立場に立つて考えてみるとどういうことになるであろうかもとより同条第二項の提出命令は対象物を提出させて裁判所が押収し之を証拠とすることができるようにする為の権能である。対象物の保管者が提出命令に応じなければ強制的に押収することになるわけである。押収物については刑事訴訟法第百二十条第百二十三条第三百四十六条及び第三百四十七条等の規定に従つて処分されなければならない。本件提出命令の対象は所謂捜査書類ばかりでありこのようなものについて押収物に関する右諸規定を適用することは極めて無理であるこのことはとりもなおさず刑事訴訟法第九十九条の証拠物には少くとも右のような捜査書類は入らないことを裏付けている。(四)、更に刑事訴訟法第三百条の趣旨からもこのことは明かである。同条は証人の証言よりも同人が前に検察官の面前において供述したところの方が被告人にとつて有利な場合に検察官としては必らずこの検察官面前調書を証拠として請求しなければならないという義務を明定しているところに意味がある。検察官としてはたとえ検察官側にとつてそれが不利益である場合にも自から之を証拠として法廷に提出する義務があるとされるのである。此の限りにおいて当事者主義は真実発見の観点から重大な制約を受けているこの規定が特に存在することは他の捜査書類にして被告人にとり有利なものが検察官の手中に存してもそれは証拠とするかしないかを検察官の判断に委ねこれが提出を義務づけるようなことはないという結論を出す根拠となる。捜査書類は刑事訴訟法第三百条に該当する場合を除いては検察官がその提出を強制されることがない。本件提出命令の対象中には右法条に該当するものはない。(五)、更に提出命令の対象物の範囲を目的論的に考えてみるに問題の根源は結局当事者主義と実体的真実との調和という点に帰着する。しかし実体的真実ということをいかに重視しても刑事訴訟の当事者主義的構造を全く捨て去るような解釈は実定法の解釈として許されない。訴訟当事者の手中にある捜査書類に対し提出命令を発し得る場合があるとすればそれは真実発見の為不可欠で他に方法がない場合に限らるべきである。このように解釈しなければ立証に関する諸規制の基礎となつている当事者主義的構造は根本から破壊し去られ全くの職権主義に変質してしまうことになる。そのもの自体を提出させて証拠としなければ真実発見の上で重大な支障を来たすと考えられるような対象はつまり代替性のないものである。他の方法で代替し得る場合はその方法で真実発見の資とすればよい事件について作成された書類でもその書類の存在や状態が証拠となるときは代替性がないといえるかもしれないが然らざるものについてはその書類の作成者供述者を証人として証言せしめることによつて足りるのであり代替性のある本件提出命令の対象たる証拠書類はすべてその内容意義が証拠となるものばかりであつて代替性のあるものばかりである。右に詳述した如く本件提出命令の対象となつている物件はいづれも証拠書類で証拠物ではない従つて本件提出命令は違法なもので取消さるべきものと思料する。

第二、本件提出命令はその必要性のないものに発せられた違法な決定である。刑事訴訟法第九十九条に基く提出命令は証拠物に限らるべきことは前記の如くであるが仮りに証拠物に限らないという立場が許されるとしても右提出命令はその必要性乃至はその前提条件を欠くこと明白で明かに不当である。(一)、刑事訴訟法第九十九条はその第一項に「裁判所は必要があるときは証拠物又は没収すべき物と思料するものを差押えることができる但し特別の定のある場合はこの限りでない」と規定している。同条第二項の提出命令は右第一項の差押の前提となりこれを予想して為される処分であるから第一項と同様に「必要があるとき」にのみ発せらるべきであることも解釈上明かである。文理上明確でないからといつて此の点を別異に扱うのは形式主義に堕するものである。(二)、而して原裁判所が本件提出命令を発するに至つたのは如何なる必要性に基いたものであるかを考えるに検証調書作成者の一人である証人畠中潜の検証の結果を真正に作成されたものであるという証言の信憑力を減殺する為前掲書類が必要であるとの理由に基くものであるがその点を分析して考えるに信憑力を減殺せんとする証言は証人畠中が昭和二十七年七月七日八日大須騒擾事件の直後犯行現場の模様に付五官の作用で認識した事実及びその認識したことに基いて判断した事実を検証調書に記載したという点であり信憑力を減殺する為使用する書類であるとして提出を命ぜられた書面は第一の(一)において詳述した如く主として被害者の供述及びその被害者の被害の程度を診断したことを記載した書面で之は明かに検証調書とは別個の書面でありその作成の経緯も全然別個独立に為されているものでその一方が他の一方の記載内容の基礎になるべき性質のものでもなく両者の間には何等の関係も認められないものである。換言すれば弁護人が主張する如く「斯様な添付書類によつて検証調書の内容を更に明確にする」或は「詳細に明かにするという趣旨で添付されている」のではない。斯様な書類は本来検証調書に添付すべき筋合のものでなかつたに拘らず誤つて添付されたものに過ぎない。従つてこれ等の書類を法廷に顕出し検証調書の作成者である証人畠中に閲覧せしめて尋問しなければならない理由はどこにもなく又右書面を法廷に提出せしめれば真実発見に役立つことが明白で且真実発見の為不可欠である場合に該当しない。そのように考えて来ると本件提出命令は合理的必要性が全くないのに発せられた違法な決定であるといわなければならない。(三)、なるほど被告人証人その他のものの供述の証明力を争う為に書面又は供述を証拠として申請できることは刑事訴訟法第三百二十八条によつて明かなところであるが同条の証拠とする為には少くとも証言のどの部分をどのように争うかが明かな場合でなければならない。その点について弁護人より全く明かにされていない。かかる証拠申請は本来不適法なものであり却下さるべきである。却下さるべき証拠申請の前提となるような提出命令を発すること自体全く合理的必要性を欠く不当のものといわなければならない。

右に詳述した如く本件提出命令はいづれの点よりするも不当なものであり取消さるべきであると思料するを以て刑事訴訟法第四百十九条第四百二十条第二項に則りその取消を求むる為本件抗告に及んだ。

よつて按ずるに被告人片山博外八名に対する騒擾等被告事件の第百五十回公判調書の裁判所書記官補横井喜久雄の認証ある謄本によれば同公判は昭和三十二年五月十七日の開廷に係り同日主任弁護人天野末治より菊家、大平、畠中の三警察官作成に係る検証調書付属の添付書類全部に付刑事訴訟法第三百二十八条に規定している証明力を争う為の証拠として検察官から同法第九十九条により右添付書類(被害上申書、被害者供述調書、診断書、報告書、被害者名簿、家屋被害者名簿、被疑者名簿)の提出命令の請求を為しておること弁護人の右請求の理由は検証調書を作成した警察官を証人として検察官側の主尋問が行われ弁護人側より反対尋問として検証調書作成の経緯を明かにし然かもその調書が信憑力を持ち得るものであるかどうかを明確にする意味において証人尋問をしているわけである。それだのにこれら検証調書の本文において明記してある関係書類を提示することなしにあるいは弁護人が見ることなしにあるいは証人に示すことなしにこの尋問をせよということは真実の発見をしようとする弁護人の努力を全く尽させないことになるとおもう。これは菊家証人の証言の全部を見ていただけばよくわかるのであるが同証人の尋問では右添付書類が提示され又之を弁護人が見そして証人に示すことによつて尋問が続けられていたのでありそしてその限りにおいてこの関係が明確になつておるのである。例えば昭和二十九年六月十一日公判において二一八問「証人はこの負傷者の部という名簿には何名のつているか見て下さい」との問で(このとき七、七大須事件被害者一覧表のうちの負傷者の部を示す)答「十二名です」二一九問「十二名の記載はいづれも民間人ですか」答「民間人のようです」二二〇問「警察吏員ではないですね」答「はい警察吏員ではありません」二二一問「その負傷者の部の名簿のうち民間人についてその負傷につき上申書とかそういう類のものを検証調書に添えましたかどうか」答「ついていると思います」「それは誰と誰の分がついているか見て答えて下さい」答「東喜作それから先程の森田その他大概あるような気がします」問「するとそれは誰が集めたのですか」答「捜査本部の方で指示したか或は検証に関係した巡査部長の方で指示したかいづれかとおもいます」問「検証に関係した巡査部長というのは大平、畠中の両部長ですか」答「そうです」問「そのどちらかというがそんなあいまいなことしか言えないのですか」答「私はそう思います」問「証人は司法主任として指示したものはありませんか」答「ありません」問「では証人の指示を受けずに畠中、大平部長が作つたものもあると思うというわけですか」答「そうです」問「負傷者の名簿が本部から証人の方え渡されてそのあとでこれを作つたのか前から作つておつたのかわかりませんか」「これは捜査本部で作つて刑事課長を通じてもらつたと言われましたがその名簿をもらう前にすなわち名簿をもらつた七月十二、三日より前に大平、畠中両部長がそれを調べていたのではありませんか」答「それ前にやつているのではないかと思います」問「そういうことを司法主任であり検証調書作成についても指揮的地位にある証人に少しも相談なくやつたのですか」答「相談あつたかもしれませんが記憶がありません」問「前に相談なしにやつたと思うというのは取消ですか」答「はつきり分りません」問「証人は負傷者の上申書、医師の診断書をつけておくということが検証調書に記載されておることは知つておるね」答「知つております」問「では当時証人はそういうものに目を通しましたか」答「先程述べたように簡単に付いておるなあというので添付した記憶です」問「出ているかなというだけで内容は見ないのですか」答「別に一々読んでみたわけではありません」問「そんなに負傷者名簿もあり上申書もつけてあり診断書まで添付すると書きながら証人はみていないのですか」答「当時としては一々読んでいる時間がなかつたし実際みておりません」問「ほとんどどれもみていないのですか」答「はあこういつた内容のものをみておりません……警察官の報告書があるなあ被害者の上申書があるなあといつた程度です」問「検証調書に警察員の負傷者について関係文書を添えておかれましたか」答「添えた記憶です」問「それはどうして添えることになりましたか」答「捜査本部からもらつて添えた記憶です」問「では証人はその警察吏員の文書をもらつて付けたというがその内容はどの程度見ましたか」答「先程申上げた程度でよく読んでおりません」問「警察吏員の負傷に関する報告書及び医師の診断書は証人は全然目を通していないというわけですか」答「そうです」問「それは非常に重大なことを目を通さずしかもその文書を添えて出すのは自分の非常な過ちというふうに考えませんか」答「別に過ちとは思いません」という風に尋問して検証調書の内容の信憑力あるいはその真正を争う尋問が展開されたのであるので若し検察官がこの検証調書に添付されておるこれ等の文書をわれわれに示すことなく或は又証人に示すことがなかつたならば此の今引用した尋問は全然出来なかつたことが明かである。特に本日尋問することになつておる畠中潜証人はこれ迄の検察官の主尋問や菊家証人における尋問でも明かであるようにこの事件では大須電停から上前津に至るその間の長い間を責任を以て検証しその調書を作成しておるのであつていわばその意味からするならばこの事件の核心的な部分についての大事な調書を作り上げておる人であり然かもその証人によつて作成されたこの調書の内容を争う被告人並に弁護人の立場としては十分な尋問をしなければならないのである。然かるに検察官がこの畠中証人の尋問にあたつて従来菊家証人の尋問に示しておつたあるいは提示しておつたそれ等の関係文書を全然示さないとの態度をとられるということは真実発見の為のこの尋問に全然協力的でないということであり然かも真実発見を拒むという非常に不当な態度だといわなければならないとおもうのである。そして検察官は検証調書として証拠調の請求をしておるものは「検証調書と題する書面」と「図面」と「写真」であつてその他のもの即ち検証調書の添付書類は検証調書としては取調の請求はしないで別個の証拠として請求するというのであるが弁護人はこれに対し本件検証調書は検察官のいわゆる検証調書の本体と添付書類とあつて此の検証調書をみるとその初めの方に検証顛末の項がありその中に「検証の顛末は左の通りであるが此の検証の結果を明確にするため現場並にその附近の見取図六葉写真二百七葉の外被害者名簿、家屋被害者名簿、被疑者名簿を作成して本調書の末尾に添付した」と書いてある。又末尾第六項をみると被害程度の項がありそれには「別紙添付の被害上申書、同供述調書、診断書、報告書の通り」と記載されておるのであるからこれ等により被害程度を明かにしておる記載である。従つて右は極めて密接の関係を有し此等の文書の提出なくして検証調書の明確を期することができないとさえいえるのであると主張し原裁判所は刑事訴訟法第九十九条の証拠物中には証拠書類を含むとし主尋問の信憑性を覆す意味で必要があるとして同条に基き弁護人の申請を容れ附属書類の本件提出命令を為したことが認められる。然れども刑事訴訟法第九十九条に所謂証拠物中には当該事件の為に特に作成せられた書面はこれを含まないと解するを相当とする。蓋し同条により差押又は提出命令をなし得るものとしたのはその物につき証拠能力を認めそれが非代替性であるがためと考うべきであるから当該事件のために作成せられた書面の如く元来供述に代るべきものはこれが証拠能力につき重大なる制限があり且つ非代替性であるといわれないからである。本件提出命令に係る検察官保管の被害上申書、被害者供述調書、診断書、報告書、被害者名簿、家屋被害者名簿、被疑者名簿等はいづれも本件事件につき特に作成された書面であつてその作成者供述者を証人として証言せしめること等により之を代替しうるものであるから右法条中の証拠物中には包含しないというべきである。もつとも右各書面は本件の検証調書の付属書類としてその内容の一部を成すものではないかを疑わしめるものもあるがその判断まで本決定においてはなすの要なきものと思料する。従つて原決定が右書類を右法条の証拠物中に包含するものとして検察官に対して為した提出命令は違法不当であつて本件抗告はその理由がある。よつて刑事訴訟法第四百二十六条第二項により主文の通り決定する。

(裁判長判事 高橋嘉平 判事 伊藤淳吉 判事 木村直行)

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